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■死刑反対派と賛成派の対談スレ■Part12

139 :傍聴席@名無しさんでいっぱい:2009/08/20(木) 05:55:30 ID:Ug3GrdFN0
>>138
>都合のいいときだけ平等持ち出すな
→確かに、人権の概念というのは、一見、悪平等にも見え、
中嶋博行氏の言うところの「犯罪者福祉型社会」の具現化に見えるかもしれません。
日本憲法の人権条項も如何に、犯罪者の人権を守るかに主に照射しているように見えます。
それとは対照的に、被害者の人権は蔑ろにされているようにも見えます。
しかし、それでいいのです!そうあるべきなのです!なぜなら、加害者の人権こそが、
最も蔑ろにされやすいからです。加害者は強者のようでいて、実は弱者だからです。
実際、歴史を観ても、犯罪加害者の人権ほど踏みにじられてきたものはないのです。
否、もっと正確に言えば、「犯罪加害者とされた人の人権」ほど蔑ろにされてきたものはないのです。
犯罪加害者とは、権力者の恣意によって作られてきたといっても過言ではありません。
だからこそ、ベッカリーアが唱えた、「罪刑法定主義」が画期的なる所以があるのです。
例えば、最近話題に上っている、酒井法子の場合など、
そもそも、酒井法子を(暴力)犯罪者かのように扱うのは間違っています。被害者は存在しません。
彼女は寧ろ被害者とさえ言えるのです。
薬物使用の犯罪の場合、売人などは厳しく罰せられるべきですが、使用者は、リハビリ=治療こそ重要なのであって、
処罰の対象となるべきではないのです。
せいぜい、政府系の「薬物使用追放キャンペーンのキャンペンガールボランティア」になるべきでしょう。
一般の犯罪者に対しても、犯罪を犯した途端、差別・軽蔑するのは間違っています。
東野圭吾「手紙」では、それまで真面目に生きてきた兄が、「魔がさした様に」強盗殺人犯となってしまうところから始まります。
凶悪犯罪の被害者になることを人々が最も恐れるのは、もっともなことです。
犯罪者を社会から、切り離したい、迷惑をかけてほしくないと思うのも当然でしょう。
しかし、それでは解決しないのです。「手紙」の中でも、それは明らかになっています。
大変な困難が伴うのは覚悟の上で、犯罪者と社会一般の人々は、共に生きる道を選ぶしかないのです。
たとえ凶悪犯といえど、片端から抹殺していくわけにはいかないのです。
確かに、人類史にはそういう時期はありました。しかし、文明文化が進歩すれば、そうした「外れ者」にも、それなりの場所が
提供できる場所が提供できるようになるのです。
まして、反省悔悟の上で「立ち直ろう」としている人達にセカンドチャンスを与えるのは、当然でしょう。
寛容の精神が行き渡っていれば、その社会は、余裕が生まれ、自由の精神からは豊かな創造力が開花するでしょう。
人の精神は罰せられることで萎縮し、歪みますが、赦されることで、安心し、感謝するようになるものです。
無論、無条件の赦しを主張しているのではないのです。
そこには、加害者からの心からの懺悔、贖罪が前提にあるのは当然のことです。


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